日本人の対外意識の3

接上一期内容:日本人の対外意識の2

司馬:

しかし、どうもいまと貢ぎ物のあり方が違っていたようですね。唐の長安の都に各国の使いたちが貢ぎ物を持ってくると、その二倍か三倍のものをお返しにくれるんですね。これは兄貴分の国なのである、あるいはご本家なのであるという考え方からで、貢ぎ物をした方は素直に、われわれは属国なんだ、分家なんだという気持ちになって、なにかもうけたような気分で帰ってゆく......。つまり貢ぎ物をされる方も楽じゃなかったわけです。

但是,贡品的存在方式好像不同的吧。如果各国的使者拿着朝贡的礼物去唐朝的长安都城的话,会以其2倍或3倍的礼物返礼给他们的吧。这就像你是大哥的国度,或者说你是本家,而拿着朝贡礼物的一方,朴实的说着我们是你的属国,带着我是分家的心情,怎么能不拿点什么好处回去呢......。就是说接受贡品的一方也并非很开心的。

キーン:

そうですね。中国でさえ、あまりたびたびは貢ぎ物を持ってきてくれるなと言っておりますから(笑)。

是的哦。即便是中国,向这些各国使者说着:你们不必一次次的都带供品来啊(笑)。

司馬:

ところが、渤海の場合も、同じように日本の当時の宫廷人を喜ばせるためかどうか知りませんが、とにかく、よくやってくるわけです。これに対してもやっばりたびたび来るなとしまいに言い出しますね。中国と同じまねをしなきゃいけないわけだけれど、日本は貧乏国だから、二倍も三倍もは返せない。二度、三度はやるけれども、四度めくらいからはしんどくなるというようなことですね。それに異民族が日本地域にはいないものですねから、さっき博物館で見た隼人の盾というようなもの掘り出されていることでもわかるように、南九州にいた隼人を異民族だと思ったんでしょうな。

不过,我不怎么清楚是否渤海国同样的为了取悦日本当时的上层人物。总之应该干的不赖的。日本对此果然也说道:你们不用每次都来的。日本必定同样地仿照中国的样子,但是由于当时的日本是个贫穷的国家,无法二倍或三倍的返礼。这样做了二次,三次的,从第四次开始就变的吃力了。而且,因为异民族不在日本区域,刚才在博物馆里看到的隼人的盾,类似这样的东西被挖了出来,我想住在南九州的隼人应该是異民族的。

キーン:

むしろ、思いたかった......。

我倒是这么想的。

<注释>

隼人(はやと):是古代日本九州岛的西南地区的原住民,是日本古代国家熊袭国的主体民族,大和王权时期被和人当作异族人看待,但后来被日本大和王朝政府彻底收编,其部落贵族成为日本大和王朝的中下层贵族,平民百姓也被和族人所同化。“隼人”一词在平安时代初期的史料中曾多次出现。

本家:日本战国时代,统治一国的大名对自己的称谓。日本的家是一个经营体概念,强调财产与居住关系,血缘亲近关系作为财产、权力分配的参考。日本神灵信仰并不限于自己的祖灵,相反这个神往往与国家联系起来。日本社会的本家与分家之间并非拥有血缘关系,分家依赖于本家生活,本家为其提供了土地田产。在武士社会中盛行长子继承制,长子继承的不仅仅是财产也包括对于家的管理权和祭祀权。这种分配有利于财产的集中、资源的集中,这种分配方式更容易适应现代化发展的需要,日本的家族企业的发展也很大程度上得益于这种传统的文化因素。

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